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浜田省吾、時任三郎のコンサートに出演。 [エピソード]

浜田省吾、時任三郎のコンサートに出演!


ご存知の方もいると思いますが、
俳優の時任三郎さんは歌もリリースして
います。

時任さんといえば、
浜省の『I am a father』の
ミュージックビデオで2人の男の子の
父親として出演していますよね。


しかし、浜田省吾と時任三郎は
どういうつながりなのかは不明ですが
親交が深いようです。

実際、省吾のMVに時任さんが
出演しているだけでなく、
時任さんに浜田省吾が曲を提供したりも
していましたからね。
その曲についてはコチラの記事を


そんな2人ですから、こんなエピソードも
あります。


あれは、時任三郎さんの芸能生活25周年
だったと思うのですが、その記念の年の
コンサートに、あの浜田省吾がゲストで
出演したのです。

もちろん、省吾が提供した曲、
『Walking In The Rain』を
2人で歌われたとか。


このコンサートには
水前寺清子さんが駆けつけてくれたり
陣内さんやチャゲさんのビデオレターも
届いたりと、豪華な顔ぶれだったようですが、
やはり、何と言っても浜田省吾。

それも、実際に会場に
駆けつけてくれたのですから
参加したお客さんもラッキーですよね!


時任さんの他にも、芸能界やスポーツ界には
浜田省吾好きを公言している方が結構いらっしゃいます。

吉田栄作さんもその一人ですし、
吉田氏にも省吾は曲を提供しています。

プロレスラー→国会議員の大仁田さんも
浜田省吾好きで、自身も省吾の曲を
カバーしていましたね。

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浜田省吾 サングラスのすべらない話 [エピソード]

浜田省吾 サングラスのすべらない話

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“浜田省吾”といえば“サングラス”
“サングラス”といえば“浜田省吾”

ファンならずとも、世間的には
こう思われていることでしょう。

あとは、タモリさんぐらいなものです。



さて、ファンであれば知っている
有名な「浜田省吾のMCネタ」と
いうのがある。

山口百恵さんの話だとか
和田アキ子さんの話だとか
実は、浜田省吾はコンサートで
すべらない話をMCに入れ込んでくる。

中でも有名な「サングラス」のネタと
いうのがあります。
(ネタという言い方でいいのか?笑)


今でこそ、曲を聴いたことはなくても
多くの人が浜田省吾の顔を知っている。

ダウンタウンの松本人志さんが
自身の番組「ごっつええかんじ」で
浜田省吾に扮してコントをしたり、

「ガキの使い」では、番組メンバー全員が
「浜田省吾」に扮して、
【浜省だらけの野球大会】などという
企画もあった。

当時はダウンタウンの番組は
視聴率も高く、多くの若者が
観ていたでしょうから、

「浜田省吾ってこんな感じなのね」
と、なんとなく浜省の顔を覚えた
のでしょう。

ちなみに、このときメンバーが
扮していた浜省の服装は
・サングラス
・赤いバンダナ
・ブルージーンズ
・袖なしのGジャン
・白いTシャツ

と、ファンであれば
「ずいぶん昔の浜田省吾だな、おい」
と思うようなスタイルでしたね(笑)



さてさて、本題の「すべらない話」ですが
そんな、多くの人が浜省の顔を知っている
時代ではなく、それよりも少し前の頃の話。

浜田省吾がコンサートのMCでこのような
話をしました。


(以下、浜田省吾 談)

あれはいつだったか、、、
今はコンサートが終わったら、会場からは
準備してもらっている車で移動するんだけど、
昔は会場にタクシーを呼んで、タクシーで
会場を後にする。ってこともあったわけ。

その時にあった話なんだけど、、、

コンサートの会場になっている
ホールから、スタッフに見送られて
タクシーに乗るわけだよね?

そうすると、タクシーの運転手さんも
「この人は有名人なのかな?」と思う
んだろうね。

その時の運転手さんっていうのが
俺よりも全然年上だったから、
「きっと俺のことは知らないだろう」
と思ったんだけどね。


で、タクシーを走らせている時に
運転手さんが話しかけてくるわけですよ。

「お客さん、芸能人の方ですよね?」って。

で、こっちは「ええ、あぁ、はい・・・。」
なんて答えたんだけど、

「あれ、オレ知ってるよ。えーと、お名前なんだっけ
 ちょっと度忘れしたな、、、えーとね、、、」


なんて、気を使ってくれるわけですよ(笑)

で、俺は「いやぁ、ご存知ないと思いますよ」
って言ったんだけど、そしたらね、

「いや、オレね、音楽とか芸能人とか詳しいから
 知ってるよ、お名前はなんでしたっけねぇ、、、」

なんて言うもんだから、

「歌を唄わせてもらってます、浜田省吾といいます。」
って挨拶したんだよ、、、

そしてたらその運転手さん、

「あーあー、そうだ!浜田省吾さんだ!思い出したよ。
 なーんだ、サングラスしてるからわかりませんでしたよ!」

って言ったんだよね(笑)

「あぁ、俺もまだまだ頑張らないとなぁ」って思った
よねぇ(笑)

・・・(会場も爆笑)


これが有名な「サングラスのすべらない話」です。


これでもわかるように、知らない人からすれば
寡黙で口数少なそうなイメージがある浜省ですが、
コンサートでは結構饒舌に喋るんですよね。

テレビに出るわけでもないし、
メディアにガンガン露出するわけでもないので
彼がトークをする場面を見る機会は
コンサートぐらいしかありません。

だから、ファンでもなければ
「浜省はしゃべらない」という
イメージのままで覚えてしまうんでしょうね。


私が行ったコンサートでは
浜田省吾本人がこんなことを
言っていました。


「年を取ったら、昔よりも
 喋ってる時間が多くなった気が
 するんだよね(笑)
 あと何年かしたら、浜田のコンサートは
 歌ってる時間より、喋ってる時間の方が
 多いんじゃないか?なんてことに
 なってたりして(笑)」

さすがに、会場も爆笑。


そんなことを言いつつも
アリーナツアーでは、
1公演3時間というハードな
コンサートを全国で繰り広げる
わけですから、やっぱりスゴイ!


浜田省吾 エピソード 「グヤトーンのギター」 [エピソード]

浜田省吾と「稲妻が走ったギター」


浜田省吾の名曲「終わりなき疾走」と
いう曲をご存知だと思います。

この曲は1980年にリリースされたアルバム
『Home Bound』の1曲目に収録されている
爽快なロックナンバーです。


この歌詞の中に

15(歳)の時、通りのウインドウに
飾ってあったギターを見た時、稲妻が
俺の体駆け抜け、すべての夢が走り出し…

という一節がある。

これは、当時15歳だった浜田省吾本人の
経験を歌ったもの。

ファンとしては、

楽器屋さんのウインドウに展示された
ギターを観て目を輝かせる15歳の
浜田少年・・・

という情景を想像してしまうところです。


さて、ではその浜田省吾を揺さぶった
「ギター」というのはどんなギターだったのか?



それが明らかになったのだ。


「THE SHOGO MUST GO ON」の最終日
2001年12月29日。広島でのバースデーライブ。

その時、スタッフからのサプライズがあった。

浜田省吾に1本のオールドギターが贈られたのだ。

このギターが日本製の「グヤトーン」という
メーカーのエレキギターだった。

そしてそれこそが、
浜田省吾少年が15歳の時に見て「稲妻が走った」ギターだ。


浜田省吾が15歳当時、つまり1967年に
店頭に飾られていたであろうギターを
スタッフが探し出し、プレゼントしたものだ。


そのギターがこれ
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浜田省吾は後に、このように
語っている。


俺が中学生の頃、江田島から呉に学校へ通っていたわけ。
その頃は小学校4年生の時、ビートルズが好きになって、
レコードを買ったり何かライヴしてたんだけど、
もちろんエレキギターなんて持ってなかったわけ。
で、学校の帰り道に、2軒レコード屋さんがあって、
レコード屋さんにギターも置いてあるわけ。<>br/
当時はギブソンとかフェンダーといった
アメリカ製の立派なギターじゃなくて、
日本製のガットギターとかフォークギターさえ無かったの。
でもエレキギターだけ2本くらい置いてあったの。
それがね、グヤトーンというギターだったの。
グヤトーン・・・皆聞いたことないでしょ?

グヤトーンというギターは本当に僕にとっては
懐かしい名前なの。
何と、スタッフが!
俺が15歳の時に作られたグヤトーンのギターを探して
プレゼントしてくれたの!!




ちなみにこのギターを実際に浜田省吾は
コンサートで使った。

使用した曲は、もちろん「終わりなき疾走」。


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